亜炭香古学~足元の仙台を掘りおこす

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「今でもけっこう採れるんだ」亜炭探しピクニック

2012年12月12日

2012年7月28日、広瀬川愛宕緑地付近で「亜炭探しピクニック」が開催されました。

昭和40年ごろまで、宮城県内で

盛んに行われていた亜炭採掘事業。

現在では、その役割を終え忘れられつつある「亜炭」ですが、

亜炭はいま、どこでみることができるでしょう?

そしてそれは、どんな姿なのでしょう? 

亜炭層発見.jpg

 広瀬川沿いの崖では、亜炭層が走っているのを容易に確認できました。 

この写真ではわかりにくいですが、画面中央より少し上のあたりにみえる黒い層が亜炭層です。

ここから、風雨にさらされて、ぽろぽろと下にこぼれ落ちてくる亜炭のかけらを、手にとってみることができます。

早速、その地層のしたで、亜炭を探してみます。

亜炭を探す参加者.JPG 拾う参加者.JPG

小さなかけらが拾えました!果たしてこれは亜炭でしょうか?

みんなで確認.JPG 小さなかけら.JPG

 伊達さんにみてもらいます。大きい亜炭が見つかると、歓声があがります。

ひろい範囲に落ちています.JPG

 亜炭は地層の下、拾い範囲に落ちていました。

土がついているので、川で洗って、よく観察します。

洗う参加者.JPG

今回拾ったものは、小さい上に良質とはいえない亜炭でしたが、

自力で「亜炭」を発見できるようになったこと、今でも気軽に手に

とってみることができるとわかったことは参加者にとって嬉しい

驚きだったようです。

これまで何度もみてきたはずの「ただの黒い石(炭)」ですが、

亜炭をめぐる、ここに暮らしていた人々の様々な思いや、

歴史的な背景を知ると、ただの石(炭)は宝物になります。

竜口の亜炭.JPG  これが亜炭です.JPG

写真では伝わりにくいのですが、実際は黒々としていて、

みれば明らかに、ほかの石とは違うことが分かります。

 亜炭層は、広瀬川沿いだけではなく、市内の様々な場所で

見ることができます。

ここでひとつ、八木山南の方にある「治産の森」の亜炭層を

ご紹介しましょう。写真の黒く見える、穴のようなえぐれた部分、

ここが亜炭層です(えぐれた奥のほうに亜炭層があるので、

この写真では、わかりにくいのですが・・・)。

坑のように見えるところが亜炭層.JPG  近くによってみる治産の森の亜炭.JPG

3m近くある非常に分厚い亜炭層もありました。

亜炭の大きな塊に直接触ることができます。

治産の森の亜炭層.JPG 

↑ 正面の黒い岩のような部分がすべて亜炭

※この治産の森でのお話しは、「亜炭香報3号」やブログ

の記事で改めてご紹介します。

 

広瀬川沿いでのピクニックの様子は、「亜炭香報 創刊号」に

詳しく掲載されていますので、ご参照ください。

(このブログの過去の記事から、新聞を閲覧、PDFデータをダウンロードできます)

愛宕下水力発電所.JPG

  ↑ 愛宕下水力発電所で涼む参加者

亜炭香堂1階「暮らしと亜炭」

2012年11月29日

P1170708.JPG

 

亜炭おやじ.JPG

会場の様子を写真でご紹介します。

サンモール一番町商店街の「いろは横丁」内の店舗を

改装し、期間限定ギャラリー「亜炭香堂」をオープンしました。

亜炭香堂会場前.jpg 入り口看板が目印

 

P1170702.JPG

 中に入ると・・・

P1170699.JPG

 壁いっぱいに文字がかかれた部屋があります。

亜炭の現物や、埋木細工、書籍等資料もあります。

P1170826.JPG  鷹.jpg

亜炭を使っていた昭和30年代後半頃までの仙台のまち・暮らしの様子、

亜炭採掘時の写真や地図など参考資料が展示されています。

亜炭香堂1.jpg  P1170724.JPG

(左)香台では、「亜炭」を燃やしてその独特の香りを懐かしんでいただきました

 

地層を模した壁面に書かれているのは、「暮らしと亜炭」のエピソード。

ここに綴られた、亜炭のあった頃の甘酸っぱい思い出や

切ない思い出は、おもに50歳以上の方を対象に行ったアンケート調査

により集まりました。アンケートは8月いっぱい行い、約60名の方の

個人史を掘り起こすことができました。

1階奥展示壁面.jpg  壁面.jpg

 壁に見える黒い縞目は「亜炭層」をあらわしています。

この会場の空間デザインは伊達伸明さんが行いました。

P1170753.JPG  鉄砲風呂.jpg

 (左)珪化木(木化石)と埋木細工 (右)アンケートの鉄砲風呂スケッチ

亜炭用語.jpg 入り口資料展示.jpg

資料展示.jpg

入り口向かって左側は元厨房スペースでした。そこには

亜炭に関係する道具や地下鉄東西線工事から採掘

された青葉山の亜炭が展示されています。

P1170708.JPG 

週末のみのオープンスペースでしたが、この厨房側展示スペース

は、通路側の小窓から閉場時も覗き見できる空間となっています。

カンテラ.jpg

 カーバイトランプ(カンテラ) 

亜炭香と青葉山埋木.JPG 

(手前)亜炭線香 (奥)青葉山埋木

亜炭おやじ.JPG

 伊達伸明作「亜炭おやじ」 ※土台は拾った埋木を加工

亜炭線香をたばこのようにくわえます。香台。 

亜炭を割ったまさかり.JPG

(手前)まさかりの頭  

燃料店から届けられる大きな亜炭は、大きすぎてそのままでは

使えません。この道具で細かく砕いてから、焚きつけに使います。

厨房側展示(亜炭香).jpg

 手前にあるひょろひょろとした細い線は、「亜炭線香」。

青葉山亜炭を配合した線香を伊達さんが開発し、期間中、

線香づくりワークショップも開催しました。

厨房展示3.jpg 

(奥)緋毛氈の上に鎮座する青葉山亜炭

埋もれれと青葉山亜炭.JPG

 伊達伸明作「埋もれれ」

こちらも仙台で拾った埋もれ木を加工して作られました。

ウクレレと埋もれ木をかけた名前です。

※伊達さんは「建築物ウクレレ化保存計画」を主宰しており

数多くのウクレレをこれまで制作してこられました。

埋木細工には"しゃもじ"もありますが、「埋もれれ」は

しゃもじにも似ています。

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亜炭香堂は、来場者が、壁面に書かれた思い出話に

触発されて自分の思い出を語り出し、別の来場者との

対話が生まれる場所でした。 

ご自宅の埋木細工や珪化木のコレクションを会場までお持ちに

なられてお話してくださる方、この企画にあわせて、地学の調査

資料や川埋もれ木の資料を作成してお持ち下さる方など、

様々な来場者がいらっしゃいました。

このように、1階はオープンしてから持ち込まれた展示品で充実し、

市民の研究発表の場としてもご活用いただけたように思います。

 ご協力いただきました方々に、この場を借りて、お礼申し上げます。

亜炭香堂2階「わが家の埋もれ木細工展」

2012年11月29日

 ウモレタラホリオコス.JPG

亜炭香堂2階「わが家の埋もれ木細工展」の様子をご紹介します。

 2階会場の様子.jpg   2階亜炭香堂.jpg

この展示は、「埋もれ木と私」のアンケートでご回答くださった方から

ご自宅にある埋もれ木細工を借用して展示しました。

いまの生活のなかに、どのように埋もれ木細工があるかをご紹介するために、

新品の工芸品を集めてみせるのはなく、アンケートでよせられた「埋もれ木

細工の入手方法」など由来のエピソードとともに、普段から使用されている

品を展示しました。

2階は薄暗い空間にスポットライトで展示品を照らすしつらえでしたが、

ブログでご紹介するにあたり、自然光で撮影した写真をご覧いただきます。

2階.JPG

 「埋もれ木と私」のアンケートは、ご自宅にある埋もれ木細工の

由来や、それにまつわる思い出を尋ねたものです。

 2階埋木展示台3.jpg   2階埋木細工展示台.jpg

 花台、お盆、茶托、ブローチ、ネクタイピン、銘々皿、スプーン、

しゃもじ、ペーパーナイフ、茶さじ、急須台、つまようじいれ、

硯箱、ネックレス、富士山やかえるの置物など様々なものが集まりました。

 わが家の埋木細工.jpg   わが家の埋木細工2.jpg

 

埋もれ木細工4.jpg   埋もれ木展示.jpg

 

埋もれ木展示2.jpg   埋木細工展示台3.jpg

 「亜炭香堂」には、埋もれ木細工の職人さんのご家族や、昔埋木細工店

を営んでいらっしゃった方など、「埋もれ木細工」の仕事にゆかりある

沢山の方が訪れ、当時の一大産業であったことを感じさせます。

どのように山から埋もれ木を工場まで運んだのか、どうやって埋もれ木を

加工したか、など貴重なお話しを伺う機会となりました。

DSC04134.JPG   DSC04158.JPG

各ご家庭に借用に伺ったときの様子。

 

【埋もれ木と私のエピソード】(抜粋)

● 亡夫に買ってもらいました。今となっては貴重品です。

● 実は今我が家の「家系図」を作成しているところです。三代前の母方の関係者に埋木細工の職人だった由。その代から先が判明できずにいるので・・・・・手がかりもなく当時の川内近辺の山屋敷にお住まいしていた由。職人の方を探しております。

 ● 茶托を使っています。10数年前に埋木細工の工芸品が消えてしまうということで、購入しました。今でも大切に使っています。

● 埋れ木製のカフスボタンとネクタイピンのセットになったものを転任祝いに記念品としていただいたことがあります。年に1回くらいは使っている。

● 出生地に於て祖父が埋木工場を営んで、工人も存在していたので、細工物も半製品であるが、私が出生した1935年に父が死亡しているため、多少父の手掛けたと思われる物をと大切に保存している。また、中学時代から祖父の老いのカバーをし、多少細工を手伝ったこともあったし、小学4年頃から祖父とともに問屋の注文品を大風呂敷で包み、そして背中に背負ったり手伝いをしたものです。

● 「つまようじ入れ」は今から40年ぐらい前、東京の親類の子が松島へ修学旅行のおみやげのものです。今は思い出して懐かしく、また大事にしようと思っています。また、此の度、この機会で我が家の埋もれ木細工にいろいろの思いを持って見ることが出来て嬉しく思っております。

● 戦前に義姉の嫁ぎの舅が埋もれ木細工職人をしていた。当時茶托や菓子皿などを作っていた。

● 父親が職人だった。磨くときはサメの皮で。

● 埋もれ木細工の置物は昭和36年10月結婚した私たちに、主人の上司だった方より戴き大事にしておりました。上司のお父上の作品と聞いております。また、その方の妹様は私の中学時代の同級生でした。此の度老人クラブでこのアンケート用紙をいただき愛着を感じ静かになでるよう布で磨きました。仙台には玉虫塗、堆朱などの名産品にも埋もれ木細工がお店に並んでいました。

● 実家の茶たんすの中に入ってあるのをめづらしくて母から頂戴して大事にしてありましたが、45年前のことです。この機会にと思いさがしてみましたが見当たりません。残念です。

● 贈り物。父。貴重な物だと知らずに置いていて、あまり気にしていなかった。

● 嫁入先にあったものです。

● 昔から家に置いてあったもの。今は重いのでほとんど使用していない。たまに鍋敷きの台を使用する程度。

● 我が家にある埋木細工。茶托6、お客に茶をすすめるとき今も使っている。親の代から約80年前と思う。34年前、親が亡くなった折、自宅で和尚さんにお茶をすすめたとき、茶托を見「これは埋木細工だから大事にするとよいよ。」といわれて、その茶托の存在を意識しました。現在も大事に使っています。

● 仙台空襲以前、家に(仙台市内東北電力近く)有りました。茶托5枚とお盆(これはうる覚えですが、経40cm~50cm位厚くて中心物を乗せる部分に、何か彫って有り、親にこれは貴重品だと聞いていた。・たぶん父が求めた物と思う。空襲後ない。焼夷彈。我が家も租界先(現福祉大裏西側も直撃で焼けている。總二階の家二軒焼けた。平野には落とされなかった。

● 友人のおじいさんが職人さんだったので、アクセサリーをいただいたことがあった。(ペンダント・ブローチなど)今はありません。

● 仙台に移住した頃(約25年前)デパートで売っていました。いろいろな細工物と一緒に。

● タカの彫刻、ダルマのおきもの、カベ掛け用の短冊入れなど。かわいた布でつやぶきしている。

第3回座談会テーマは「川埋木」(ゲスト:渡邊慎也さん)

2012年10月18日

亜炭香古学、10月21日13時からの座談会は、

渡邊慎也さんをゲストに迎え、「川埋もれ木」のお話を伺います。

参加ご希望のかたはお電話にてご予約ください(残席わずかです)。

 

仙台ろけなびTVで映像配信中

2012年10月12日

「仙台なびっく × 東北ろっけんパーク」 のご協力により、

いろは横丁の「亜炭香堂」での展示の様子を映像配信しています。

http://www.sendai-rokenavi.nitn.tv/tv/index.php?cat=2

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