「もやし劇」! ついにその謎が解き明かされる...。
出演:伊達伸明(美術家)、たかはしよしぴろ(ダンサー)
番外編その1 (2分28秒)
番外編その2 (49秒)
http://www.youtube.com/watch?v=MWgkLYjx1gE
※平成25年10月12日に開催された亜炭・埋もれ木ツアー「もやし劇場」(本編)レポートは、下記URLよりご覧ください。
/atanblog/2013/12/post-16.html
12月初旬、いつものように亜炭鉱坑口跡を探して竜口周辺(追廻奥)の藪こぎをしていると・・・
坑口跡付近によくある「山神碑」を発見。
昭和十八年十月十五日 建之 山神 千代(せんだい)鉱山主 木田新重郎
千代炭鉱は、天守台一帯の亜炭を大規模に採掘していた炭鉱です。
そういえば、八木山橋のたもとにも山神碑があります。
木 田 鉱 業 所 由 来 (碑文)
青葉山一帯は 古来良質の亜炭および埋木の 埋藏地として知られ竜の口坑が開坑されたのは 昭和の初期で採掘された亜炭は 以釆仙台市の各方面に燃料として使用された 第二次大戦の戦火の拡大に伴い諸燃料が逼迫するに及び 亜炭の重要性が認識され重要鉱物に指定されるとともにその増産が要請され資材や労力不足の困難を克服しつつ採掘を続け 次いで国家の情勢に即応して八木山橋坑が開坑されて需要の役を果した 終戦後一時操業の中止を余儀なくされたが燃料事情の窮迫に伴い多額の経費を投入して再開し坑内外の施設を拡充して増産に努め東北大学病院諸官庁その他の需要に応じて操業を続け現在に至った また 本地域に埋存する 亜炭に挟在していて当坑内から多量に採取された埋木は特に良質で手工芸材料として業者に供給されその製品は近代感覚の考案により今日仙台特産埋木細工としての名声と地拉とを築くに至った このたび東北大学の用地拡充および仙台市の観光施設計画に協力して当坑を閉鎖するにあたりてその由来を述べて記念とする
昭和四十一年五月 木田 新重郎
世話人
鈴木廉三九 奥津春生 山本正 石原廉太郎 手島周太郎 松山廉 大浦政吉 山田幸左衛門 石垣博 高橋清之助 飯柴仁 名川正 島田武 櫻井亮英
山本正 選文書
石材工業
仙台市向山 鈴木実
文字彫刻師 川村勝男
※平成22年9月27日開催の「亜炭香古学~亜炭ピクニック」講師の若生克雄先生配布資料より
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坑口跡から亜炭鉱山名を特定するには山神碑が大きな手がかりになります。
昭和十八年十二月吉(日?) 山神 東拓炭鉱株式会社 @青葉の森
「青葉の森」には、複数の亜炭坑口跡がありますが、ここの鉱山名を裏付ける証拠がこの石碑です。
青葉の森からほど近い、東北大学乗馬部向かいあたりの藪の中にも、、、、
『埋もれ木細工の由来』に掲載されている埋木細工職人の名前の一字違いの名前が並んでいます。
川内亀岡の神社にも亜炭鉱坑口跡がありますが、その近くにある山神碑↓
亜炭鉱山の山神碑の情報提供(位置、写真、碑文の内容)をお待ちしています。
伊達伸明さんの「建築物ウクレレ化保存計画」のドキュメンタリー番組が12月23日から連日放送!
BS朝日「緑のコトノハ」
2013年12月23日~12月27日 20時54分~21時
http://www.bs-asahi.co.jp/kotonoha/num_145.html
-------------以下、番組紹介より-------------
伊達伸明(建築物ウクレレ化保存計画)
時の流れと共に変貌していく現代の街。都会では木造の風情ある建物は次々と取り壊され、コンクリートのビルになっていくのが世の常です。私たちが暮らしている場所でも、多くの思い出深い建物が失われています。誰もがそんな時に感じる、言い表すことができない寂寥感・・・。そんな思いを癒すように、取り壊される建物の中から、人々の営みや肌触りが感じられる、思い出深い部材を切り出し、ウクレレにして残そうと活動している人がいます。大阪・豊中市に暮らす伊達伸明さん。美術家の伊達さんは2000年から「建築物ウクレレ化保存計画」と称して活動をスタート。自分自身で願い出て公共建築物をウクレレにしたり、様々な人から依頼を受け、壊される運命の建物をウクレレによみがえらせ、その思い出と共に手渡しています。現在、伊達さんの手で建物から生まれ変わったウクレレは60以上。建物の特長を残すように作られたウクレレの姿は、どれも個性豊か。個人の家、銭湯、学校、由緒ある御寺や教会など、一つ一つのウクレレに、そこで暮らした人々の忘れがたい思い出が詰まっています。
10月12日(土) ナゾの催し「もやし劇場」を開催しました。
ツアー最後の企画「もやし劇場」は「たのしむアナボコ」がテーマです。
ということで、亜炭山小学校の課外授業に参加します。
時間割
地下鉄愛宕橋駅で集合した後、今回の会場となる「もやし劇場」へ移動
川沿いをぞろぞろ歩いて会場入り口付近に到着。もやし劇場へ、ようこそ!!
もやし君たちがミニシアターでご挨拶。
1時間目 れきしとりか
愛宕山下水力発電所跡に足を踏み入れた参加者、不思議な空間に驚きます。
次は外に出て、今回のアナボコである古墳を見学。
意外な場所にこんなに良く見える古墳があったんですね。
2時間目 ちがく・けいざい
ここでも見られます!亜炭層
前日に雨が降ったことで黒く光る亜炭層がしっかり見ることができました。
地面にも亜炭が散らばっています。
「亜炭はお金だよ~」と突然聞こえてきて、足元の亜炭を拾います。
たくさんお金(亜炭)を手に入れた様子。やった~!
発電所跡に戻ってみると、
そこは自由市場とか書かれたマーケットが突如出現!
「亜炭はお金だよ」ということで、さっき拾った亜炭通貨でお買いもの開始です。
もやし店長がマーケットを仕切ります。
中にはこんな高額商品も商品もありました。
Tシャツ 10,000 あたん
商売繁盛 たくさんお買いものをしていただきました。
3時間目 テクノロジーこくご
テクノロジーこくごとは、音声読上げ機械を使ったハイテクな授業です。
本当の授業のように発表もあります。突然あてられてこたえなくてはならない参加者。
亜炭にまつわる「ある事件」のおはなしを聞きました(実話)。
最後は、句集「亜炭山」の朗読。参加者に朗読をしてもらいます。
手前にいるのは静かに舞う、もやしダンサーたかはしよしぴろ氏。
4時間目 化がく かてい
懐かしのかほり?メインイベント亜炭をもやします。
燃料として使っていた当時と同じ方法で、スギッパを使います 。
なかなか火がつかないけれど、少しずつ火が回り始めました 。
ここで亜炭を投入 。
モクモクと黒い煙が立ち込めてきました。これが当時の夕方、仙台の風景?
そしてなんとも酸っぱい、脂っ気のある独特のかほりがしてきました。
これが亜炭の香りなのかと身体いっぱいに亜炭を感じます。
まだまだお楽しみが!
おやつのポップコーンを火にかけます。
最初は弾けなかったポップコーンですが火が安定すると、ポン、ポン、ポンッと楽しい音が鳴り出しました 。
出来上がり!
成功したポップコーンを頬張って、みんなでおやつタイム。
放課後 たんけん
放課後、発電所跡からつながる導水トンネルを探検しました 。
先は真っ暗、何が起こるかわかりません 。
みんなで歩けば怖くない。みなさん無事に戻ってこられました!
これにて、本日の課外授業は終了。
貴重な体験がいっぱいの課外授業でした。
<最後に>
なぜ、もやしなのか?
食べるもやし?それとも(亜炭)燃やし???
実はこの旧愛宕下水力発電所は、発電所としての機能を終えて後、冬の間もやし工場として利用されていたそうです。
そして、驚くべきことに(偶然にも)参加者のなかに、ここでお父さんがもやし工場を営んでいたという方がいらっしゃいました。不思議なご縁を感じます。
当時の「もやし工場」の詳しいお話し、写真資料などは、いずれ「亞炭香報」で明らかになることでしょう!乞うご期待。
「杜の都のクラフトフェア」(10月5~6日@サンモール一番町アーケード)にあわせ、東北工業大学一番町ロビーにて「手のひらの工芸」展(「埋木細工2.0展」との合同展)が行われました。クラフトフェア参加作家による工芸作品と、今回初めて埋木細工に挑戦した平成の木工作家たちによる埋木細工作品をあわせて展示したものです。
◆ 『埋木細工2.0展』
産業として栄えた時代は終わり、その名のとおり世に埋もれつつある埋木細工。2012 年の亜炭香古学では「わが家の埋木細工展」として、各家庭にある埋木製品を、入手のエピソードとともに紹介・展示しました。広く普及していた時代を知る人も知らない人も、あらためてその質感と背景の深さに目を奪われました。企画した私たち自身もこれを過去のものと思い込み、原木を見ることなど出来ないと考えていましたが、かつての埋木店主や地元愛好家との縁を得て、幸運にも少量の埋もれ木を入手することができました。また、小竹さんのところにお弟子さんが入り、我々同様、埋木での制作を試みている方がほかにもいることを知りました。この絶滅寸前の埋木文化に意外にも新しい動きが芽生えつつあるいま、現代の暮らしにあう平成の埋木細工とはどんなものかを、若い木工作家に提案してもらう試みとして「埋木細工2.0」展をクラフトフェアで開催します。
※※「2.0」は、新世代のもの、バージョンアップをなぞらえた表現。
日時:2013年10月4~9日
会場:東北工業大学一番町ロビー
主催:仙台市、(公財)仙台市市民文化事業団
協力:杜の都のクラフトフェア実行委員会(東北工業大学一番町ロビー/南町通りオープンギャラリーくろすろーど)
助成:(財)地域創造
コーディネーター:渡邉武海
筑前賢太(モノノケワークス)/『ウモレギスイッチ』
作者コメント:
数千年、はたまた400万年という悠久の歳月を経てきた埋もれ木を想うと、人間である自分とは大河の一滴でしか無いと実感することが出来る。そんな自分の悩みなんて案外ちっぽけだったりします。このウモレギスイッチで、悠久の時を想いながらスイッチ(切り替え)すればそんなちっぽけな自分に気付けるかもしれません。
鈴木綾乃(小竹孝埋木細工工房 秋保工芸の里 研修生)/『埋もれ木チョコレート』
作者コメント:
普段埋もれ木で何か作る場合、仕上げの時はラッカーか漆を塗って仕上げるのですが、何も塗らない埋もれ木そのままの色がとても良いチョコレート色で(物にもよりますが)大好きなんです。そこで品物を作っている時に出た切れ端をそれっぽい形に削って、磨いて、何も塗らない代わりにお菓子を包んでいた銀紙に包んで、他の工房の研修生の人に「チョコレートどうぞ」って、そっと差し出してみるわけです。そうしたら、これは面白い!って喜んでもらえたんです。それが私も嬉しくって、こういうただ綺麗なだけじゃなくて、ちょっと面白いなと思ってもらえるようなものをこれからも作っていけたらいいなあとその時思ったのです。難しいんですけどね。
監物政吉(監物炭鉱)/『将棋駒』
平成に入ってからも亜炭を採掘し続けた数少ない鉱山の1つ、監物炭鉱(山形県新庄市)。監物氏は、昼間は坑夫として亜炭を採り、仕事が上がって晩ご飯がおわると、今度は取り置いていた埋木を使って将棋の駒を制作した。ベルトサンダーや刃物で成形し、文字に金色の粉を埋める手法で40枚一組の駒を作って鉱山関係者を中心にプレゼントしたという。監物炭鉱では、仙台の埋木細工店から頼まれて卸すほど良質の埋木が産出した。また監物氏は、終戦直後には楽団をつくって歩いていたそうで、今もセルマー製のサックスを出して演奏することがある。モノのない時代の限られた環境の中でも日常を楽もうとする創意工夫の力強さが窺える。
(解説:伊達伸明)
高橋研二/写真左 『イタミ』 、 写真右 『回す(失敗と成功)』
作者コメント:
400万年埋もれていたという亜炭。今回、「時間」と「痛み」をテーマに作品を製作しました。
彫刻刀のキワ型と切出小刀の二本を使用。事前に頂いていた資料によると、石膏・印石・コクタン程度とあったので、とても硬いという先入観がありましたが実際に削ってみるとそれ程でもないように感じました。メラミン化粧板を軟らかくしたような削り心地でした。
やはり、繊維の直交方向に弱く生活道具として繊細な物を製作するのは難しそうでした。飾り物だったら繊細な物も製作できそうな気がします。今回オイルで仕上げたのですが、圧縮されたきれいな木目がオイル塗布後目立たなくなってしまったのが少々残念でした。
齋藤英樹(木のしごと樹々)/『RINGS』
作者コメント:
普段から木を扱う仕事をしていますが、全く別の素材でした。
木というより、石や金属のような感覚。
数センチ切るために新品の刃物が悲鳴を上げます。
木目に注意しても予想外の所で割れてしまいます。
あえてその割れを楽しもうと思いました。
広野じん(木彫家)/『ど~なっつ』
作者コメント:
前々から興味のあった素材だったので、今回はその機会を与えていただき、感謝しています。
材の印象は、「硬く、割れやすい」というのが第一印象でしたが、削って行くに従って、独特の黒茶の光沢が綺麗で、手に持った重さも程良く重く、硬いとはいえ、やっぱり元は木である事が彫ると感じられる素材でした。
材に癖や、バラつきも多々あるのでしょうが、貴重な体験でした。
藤原茜/『掛け時計』(上写真) 『一輪挿し』 ※2作品
作者コメント:
初めて見た時から、私は「埋もれ木」に魅せられていました。
長い年月や、自然の力によって変質し、形づくられたその姿はそのままでとても美しいものだったからです。
これに私が手を加えるのかと恐れ多く感じましたが、その気持ちから、埋もれ木の表情を残し、生かした作品にすることを意識し制作しました。着目したのは、繊維方向に対してほぼ直角に入ったヒビ、繊維がはがれたあと、磨かれ生まれた、光沢のある木の肌です。それらを用い、掛け時計と、一輪挿しを制作しました。構造体やパーツに、普段使用する木材ではなく鉄や真鍮を用いたのは、対比を強め、より埋もれ木を際立たせる為です。
松浦丹次郎(川埋もれ木工芸作家、あぶくま沈木会)/『茶入れ』 (材はカツラ、阿武隈川産)
作者コメント:
川埋もれ木の魅力の第一は何と言っても黒変した木理の文様である。その文様は様々な形があるが、時には神々しいほど不思議なものもある。埋もれ木には硬くて艶のあるものや軟らかい材まで色々ある。それらは数百年~数千年、川中に浮き沈みしてきた環境の違いによると思われる。もちろん腐って消えてしてしまったものも多いに違いない。川埋もれ木の多くはがヒビ割れている。ヒビ割れのない極上のものを探し当てるのは容易でない。中世には名取川の埋もれ木灰が名品として公家衆や幕府要人たちへ献上されていた。江戸期の文人たちも阿武隈川の埋もれ木製の硯箱・文台・垂撥などを愛で求めていた。
伊達伸明(美術家)/『埋木皿』
作者コメント:
ひょんなことから、入手不可能と思っていた埋木の原木を手にすることが出来た。黒灰色のそのかたまりは繊維に沿って深く割れ、表皮も網の目状の亀裂で覆われていた。聞くところによると、太古の昔に火山の火砕流で土中に埋まって煮物の白ネギのように扁平につぶされた巨木が、400万年もの間地下水に浸されたのち掘り出され乾燥したものという。人の赤ちゃんの産声は、水から空気へと環境が激変したことによる「叫び」だというから、乾燥時のストレスで出来た埋木のヒビも、地上デビューのご挨拶と思えなくもない。
そんな身のよじれをていねいに避けたり活かしたりしながら作られた埋木工芸品には、太古のドラマとそれを愛でた仙台の人々の1世紀半が積み重なっている。木と土からなる「杜」という字がだんだん埋木に見えてきた。
階段の上では、さらにもうひとつの展覧会「時松さんが歩いた東北」展が開催されていました。
東北の「工芸」が多様な切り口で楽しめる展示となりました。
10月5日(土)・6日(日) @サンモール一番町商店街アーケード
「杜の都のクラフトフェア」に参加しました!
「埋木みがき隊」のワークショップは
かつて仙台で盛んだった埋木細工の存在を出来るだけ多くの方に
知って頂きたい、現在は手に入りにくい希少な素材を実際に手に取り
親しんでいただきたい、という思いから開催されました。
埋木みがき隊のブースは連日満席でした!
埋木の原木
原木を切り分ける
山埋木は硬くて割れやすい素材です、切り分けの作業は慎重に行います。
この大きさになった埋木を水研ぎします 。
耐水ペーパー(紙やすり)を水に浸し、埋もれ木をこすります。
みがいて、みがいて、ひたすらみがく。。。
ツルツルになりました!
これを乾いた布で磨けば、さらにピカピカになるのです。
あんなざらざらな表面が、30分もこすればこんなにも変わってしまう。。不思議な素材です。
小さな子もみんなと一緒に一生懸命みがきました。おかあさんと一緒にみがく、みがく、、、、。
二日間の開催でしたが、初日に参加された方が、次の日に仕上げた作品を見せに来て下さったり、ご家族を連れて来て下さったりと、埋木の魅力がどんどん伝えられていきます。
お陰様で2日間で約450人の参加があり大盛況のうちに幕をとじました。
ご来場のみなさま、ご協力頂きましたみなさま、本当にありがとうございました!
9月22日、
予想を上回る参加申込みに、急遽バスを大型に変更し、定員増で開催された今回のツアー。
福島県伊達市にある 明治の擬洋風建築旧亀岡
※「川埋木」については、「亞炭香報3号」裏面をご覧ください。
最初の見学は、タイトルにある「山アナボコ」。名取市にある熊野堂横穴墓群に到着です。
◆ 熊野堂横穴墓群
植物が繁茂しているため、この写真ではアナボコの全体像が捉えにくいですが、圧巻のアナボコです。「近くにこんな地域資源があったなんて!」と驚くこと間違いなしです。
草に覆われていない写真が、名取市のホームページに紹介されていますので、ご覧ください。古墳についての詳細な説明も掲載されています。
http://www.city.natori.miyagi.jp/soshiki/kyouiku/bunka/annai/node_1784/node_1461/node_1735
◆川埋木
福島県伊達市保原町 保原総合公園に到着
元々は現在の伊達市桑折町に建てられていたこの建物は、旧保原町に寄贈され、後平成7年に移築復元されました。
さて、どこに川埋木が使われているでしょうか。
これが川埋木。丸太の状態で残っているのはとても珍しいそうです。
曲線が素晴らしい階段。 川埋木だけでなく、建物内の細部にみられる工夫と技術の高さには目を奪われます。
下の写真、窓の細工は川埋もれ木が使われています。
トイレは通常一般公開されていない場所ですが、ドア、天井、壁板などふんだんに川埋木が使われています。
2階にあがると、雰囲気が一転、白が基調となった空間が広がります。
川埋木については、
土龍舎発行の「阿武隈川の埋もれ木-まぼろしの銘木の歴史と文化-」(著者 松浦丹次郎)に非常に詳しい解説がありますので、ぜひご一読ください。
http://datenokaori.web.fc2.com/sub40.html
この本を通じて出会った「あぶくま沈木会」のみなさんとの座談会を、今回のツアーで実現することができました。
あぶくま沈木会さんは、川埋木の歴史文化研究を行うほか、阿武隈川に、今でも時折現れるという幻の川埋木を、国の許可を得てひきあげ、これを素材に工芸作品を制作する活動をしています。
実際に、川埋木の作品をみせていただき、川埋木とはどういうものなのかお話しを伺いました。
「あぶくま沈木会」さんとの座談会
マスコットのあぶちゃんが迎えてくれました。「沈木」と書いて、「うもれぎ」と読むのだそうです。
(もちろん、下の台もあぶちゃんも川埋木製)
解説してくださっているのは幕田一義さん。
川埋木は木の色合いがそれぞれ違い、山埋木とはまた異なる素材感があります。
あぶくま沈木会のみなさんの作品。
埋木は普通の木材よりも非常に扱いづらく(縦にも横にも割れやすく)、まずこの性質に慣れるだけでも大変で、ましてや形あるものに細工するのは難しいとききます。
何よりも驚くべきことは、現在「川」埋木を自分たちで手に入れ、それを使って作品制作する人々が存在しているということです。
川埋木は山埋木に比べ、川中ではそれと判定しづらく、目撃頻度が少ないものです。仙台では山埋木の職人さんが最後の一人であることを考えると、本当に驚くべき活動です。
「手にとってみていいですよ」と対応してくださる「あぶくま沈木会」のみなさん。
あぶくま沈木会のみなさんが、参加者のために手作りのお土産(川埋木の夫婦箸やストラップ、本「阿武隈川の埋もれ木」、果物など)を沢山用意してくださいました。一同感動の嵐です。
伊達家の領土でつながった埋木文化との新たな出会いと学びの一日でした。
「あぶくま沈木会」のみなさま、本当にありがとうございました。
あぶくま沈木会のみなさん+伊達伸明さん。
仙台から旧亀岡家住宅(保原総合公園内)へは車で約1時間です。
松島瑞巌寺の埋もれ木書院は平成30年まで、修繕のため見学できませんが、こちらで川埋もれ木を堪能できますので、ぜひ足をお運びください。
平成25年9月8日(日)、亜炭鉱山の坑口跡6か所をめぐるツアー「坑口点々」を開催しました。
当日はあいにくの雨でしたが、参加者の期待にこたえるべく、晴天ルートで決行しました。
◆ツアールート
12:00 仙台駅集合
12:40 「青葉の森」 東拓炭鉱跡見学
13:25 八木山動物公園脇駐車場ビル建設現場から亜炭層見学
13:50 日赤病院向かい 堂ヶ沢炭鉱跡見学
14:05 金剛澤緑地東口 舟渡家炭鉱跡見学
15:10 「治山の森」 金剛沢炭鉱跡見学
旧トロッコ道を辿る
16:15 仙台市野草園 八紘社炭鉱跡見学
17:30 天守台下 千代炭鉱跡見学
追廻付近から亜炭層を見学
18:20 仙台駅着
1.青葉の森
参加者全員無事に坑口跡に辿りつき、それぞれ記念撮影
2、金剛沢緑地
坑跡はどこも土砂に埋まり、殆どわからない状態となっています。半円アーチ型の上部(人工的な堀あと)のみ確認できる場合があり、 伊達伸明さんから「心の目で坑をみる」ための鑑賞術を教えていただきます。
3、恐竜山
4、治山の森
抗道跡が一部排水設備として利用されています。
治山の森から次のアナまでの移動経路は、当時金剛沢から西多賀まで
通っていたトロッコ道を辿りました。詳しくは「亜炭香報」3号をご覧ください。
5、仙台市野草園
入口にある大きなメタセコイアの硅化木をじっくり鑑賞してから坑口の方へ移動。埋木にも、硅化してかたくなったものがあります。
野草園の坑口跡には立て看板があり、坑道の入口を支える木柱が当時の状態で保存されています。
6、青葉城天守台下
下山しながらみんなで亜炭拾いをしました。
ツアーの最後には、朝から降っていた雨も上がり青空が現れました。
亜炭層が見える追廻付近で亜炭層を観察。
「杜の都のクラフトフェア」
埋木細工2.0展の一例
作者名:伊達伸明(美術家)
※平成25年10月3日河北新報 [夕刊] に今回の企画の記事が掲載されました。
http://www.kahoku.co.jp/news/2013/10/20131003t15039.htm