亜炭香古学~足元の仙台を掘りおこす

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山神碑ノ情報求ム

2013年12月20日

12月初旬、いつものように亜炭鉱坑口跡を探して竜口周辺(追廻奥)の藪こぎをしていると・・・

R0015295.JPG

坑口跡付近によくある「山神碑」を発見。

 千代炭鉱S18山神碑木田新重郎(竜口入口) - コピー.JPG

昭和十八年十月十五日 建之 山神 千代(せんだい)鉱山主 木田新重郎 

 千代炭鉱山神碑(S18木田新重郎)竜口入口 - コピー.JPG

千代炭鉱は、天守台一帯の亜炭を大規模に採掘していた炭鉱です。

そういえば、八木山橋のたもとにも山神碑があります。 

 八木山橋山神碑.jpg

 木 田 鉱 業 所 由 来  (碑文)
青葉山一帯は 古来良質の亜炭および埋木の 埋藏地として知られ竜の口坑が開坑されたのは 昭和の初期で採掘された亜炭は 以釆仙台市の各方面に燃料として使用された 第二次大戦の戦火の拡大に伴い諸燃料が逼迫するに及び 亜炭の重要性が認識され重要鉱物に指定されるとともにその増産が要請され資材や労力不足の困難を克服しつつ採掘を続け  次いで国家の情勢に即応して八木山橋坑が開坑されて需要の役を果した 終戦後一時操業の中止を余儀なくされたが燃料事情の窮迫に伴い多額の経費を投入して再開し坑内外の施設を拡充して増産に努め東北大学病院諸官庁その他の需要に応じて操業を続け現在に至った また 本地域に埋存する 亜炭に挟在していて当坑内から多量に採取された埋木は特に良質で手工芸材料として業者に供給されその製品は近代感覚の考案により今日仙台特産埋木細工としての名声と地拉とを築くに至った  このたび東北大学の用地拡充および仙台市の観光施設計画に協力して当坑を閉鎖するにあたりてその由来を述べて記念とする

昭和四十一年五月         木田 新重郎


世話人
鈴木廉三九 奥津春生 山本正 石原廉太郎 手島周太郎 松山廉 大浦政吉 山田幸左衛門 石垣博 高橋清之助 飯柴仁 名川正 島田武 櫻井亮英 
 山本正 選文書
石材工業
 仙台市向山 鈴木実
 文字彫刻師 川村勝男 

※平成22年9月27日開催の「亜炭香古学~亜炭ピクニック」講師の若生克雄先生配布資料より

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 坑口跡から亜炭鉱山名を特定するには山神碑が大きな手がかりになります。

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 東拓炭鉱の文字.JPG

 昭和十八年十二月吉(日?) 山神 東拓炭鉱株式会社 @青葉の森

「青葉の森」には、複数の亜炭坑口跡がありますが、ここの鉱山名を裏付ける証拠がこの石碑です。 

青葉の森からほど近い、東北大学乗馬部向かいあたりの藪の中にも、、、、

 東北大学乗馬部向かい.JPG

 DSCN1178.JPG

 DSCN1179.JPG

『埋もれ木細工の由来』に掲載されている埋木細工職人の名前の一字違いの名前が並んでいます。 

 

川内亀岡の神社にも亜炭鉱坑口跡がありますが、その近くにある山神碑↓

 山神碑(川内亀岡).jpeg

 山神碑(川内亀岡).JPG

亜炭鉱山の山神碑の情報提供(位置、写真、碑文の内容)をお待ちしています。