【レポート】やわつちサロン第4回「ものごと・できごとを編む」
2018年02月09日 (更新:2018年2月9日)
日時:2017年12月13日(水)19:00〜21:00
今回は、東日本大震災の記録を集めた書籍などを刊行している3.11 オモイデアーカイブの佐藤正実さんと、映像作家である一般社団法人NOOK の小森はるかさんが話し手に、TRAC常駐スタッフで編集者・ライターの鈴木瑠理子が聞き手となって、「編集」について話しました。
はじめに、これまでの活動についてご紹介いただきました。
正実さんは、昔から本屋さんに行くと本の装丁に釘付けになっていたという“紙好き”なエピソードを交えながら、これまでに手がけた本の中から選りすぐりの2冊『絵葉書で綴る大正・昭和前期の仙臺』『3.11キヲクのキロク、そしてイマ』について解説してくださいました。前者では、ダブルトーン(色調の異なる2つの写真版を使った技法)などを用いて深みのある色合いや質感を出し、震災の記録を集めた後者では、ページをめくる時のスピード感や間を大事に考え、厚さがありつつも軽量な嵩高紙を選んだとか。読む人と本との関係性を見据えた工夫がなされていることが垣間見えます。
小森さんは、アートデュオとしてともに活動するNOOKの瀬尾夏美さんとの映像作品『波のした、土のうえ』について話してくださいました。本作は、東日本大震災で被災した陸前高田の人々に話を聞き、その話を瀬尾さんが「私」という一人称で書き表し、のちに話を聞かせてくれた方に朗読してもらい、その声を軸に小森さんが映像を加える、という協働の手法がもとになっています。小森さんは、「この手法をとると、話し手の声と情景が重なってもエモーショナルな印象にならず、その人が離れたところから自分を見ているような感覚が生まれたことが発見でした」と実感を語りました。
続いて、正実さんが代表となって2005年に創刊したフリーペーパー「風の時」について伺いました。当時は多種多様なフリーペーパーが発行されていたそうですが、すぐに読み捨てられてしまう状況もあったとか。そんな中、保存性・閲覧性のある媒体をつくりたいという思いから生まれたのが、仙台の街の風景や歴史を文と写真で伝える「風の時」。正実さんは、「誌面のテーマを考えたら、記事はライターやカメラマンの方にお願いして、その人の色で表していただいていました。そうすると、誌面の見え方の角度が変わるんです」と話します。人と関わり合うことで予想もしないようなアイデアへと繋がったり、方針が見えてきたりするところが編集のおもしろさだということを感じました。
そして、ご参加いただいた方々にも質問を上げていただきました。
ある方は、小森さんと、この日ファシリテーション・グラフィックをつとめていた瀬尾さんへ、「協働で作品を制作する中で、互いにどのような影響を与え合っていると思いますか?」と投げかけました。これに対し、小森さんは「映像の中で完結するのではなく、映像の外にある瀬尾の言葉に触れてつくり方を考えられるのは、以前と変わったことだと思います」と応答。瀬尾さんも、「同じ出来事に対していろんな視点を持つということは重要だと思っています。いろんなメディアを駆使して何かを記述しようとしても、抜け落ちるものがある。多様なメディアを使うことによって、むしろそのことを表せるんじゃないかなと感じています」と話しました。編集や表現は、物事をあるがままに伝え得るものなのではなく、人が物事と向き合うための入り口や窓をつくり出す仕事なのかもしれません。
このほか、「物事をアウトプットする上で、モチベーションはどう保っていますか?」という質問を上げられた方も。これについて、正実さんは『3.11キヲクのキロク、そしてイマ』を例に挙げ、「震災を扱っていることもあり、写真や文にバイアス(意図の偏り)をかけたくなかった。この本の場合は、その意思がモチベーションになったと思います」と話し、私からは、企画内容を掘り下げて問う間に、自分の中に目指すレベルが出てくるということ、原稿を書き、離れて読む過程を繰り返しながら、言葉で表されるものに向き合っていくことについてお話しさせていただきました。
また、小森さんは「映像制作に向かっているうちに、『時間が通ったな』と感じる瞬間があります」と応じ、瀬尾さんからは「体感したことをツイッターにメモして、即時的に公に出しています。時間が経つとどうしても感じ方が変わってしまうので、メモをもとに(それまでの過程を)歩き直すようにしています」といった実践方法も語られました。
まだまだ話し込めそうな余韻を残しつつ、サロンは終了。
ゆるやかな、かつ密な時間となりました。
ご参加いただきましたみなさま、ありがとうございました。
報告:鈴木瑠理子(東北リサーチとアートセンター 常駐スタッフ)