【レポート】トークイベント「仙台七夕まつりのなんだりかんだり」
2020年08月14日 (更新:2020年8月14日)
「“祈りの祭り” 仙台七夕まつりのなんだりかんだり」展 関連トークイベント
開催日時:2020年8月1日(土)
第一部「90年間で七夕飾りはこう変わってきた」
登壇者:佐藤正実さん(風の時編集部)
第二部「仙台七夕まつりと三原家」(15:00~16:00)
登壇者 :三原良夫さん(七夕飾りを作ろうプロジェクト)
新型コロナウイルスの影響により、TRACでの会場開催のイベントを停止してはや3ヶ月。
感染対策を徹底してのイベント再開の皮切りとなったのは、この度戦後初の中止となった仙台七夕まつりについてのトークイベントでした。
今回は二部制で、第一部は風の時編集部の佐藤正実さんより、仙台七夕まつりの豪華な七夕飾りがどのように変遷して今のかたちとなったのか、お話していただきました。
◆第一部「90年間で七夕飾りはこう変わってきた」
冒頭でご紹介いただいたのは、現在TRACに展示されている(8/30まで展示中)風の時編集部発行「歴代七夕ポスター大全集」より抜粋したポスター群。昭和41年までは絵画で、その後カラー写真となったポスターは、その年ごとの流行を反映しているものもあるそうです。
みちのく三大祭りの共通点
東北地方で三大祭りと言われる仙台七夕まつり・青森ねぶた祭・秋田竿燈まつりには、
「竹と和紙を使うこと、宵のまつりであること、五穀豊穣を願うことという共通点があります」と佐藤さん。
もともと七夕飾りとして「七夕線香」「スイカ行灯」があったことは、暗くなる時間(宵)のまつりであったことが関連しているそうです。
祈りをささげる、という願いの再認識
徐々に絢爛豪華になっていった七夕飾り。
しかし、2011年東日本大震災の年の仙台七夕まつりで飾られた、とてもシンプルな七夕飾りに佐藤さんは胸を打たれたといいます。
仙台市内194の学校の小中学生が一人一羽ずつ折った鶴で作られた白一色の七夕飾りは、もともとの祭りの願いである「鎮魂」「祈り」ということを強く意識させるものだったそうです。
今年度は新型コロナの影響で中止となってしまいましたが、こんな時こそ、仙台七夕まつりに込められた願いを思い出すのも大事なのではないか、という想いから今回のトークイベントを企画されたとのことでした。
◆第二部「仙台七夕まつりと三原家」
第二部は、七夕飾りを作ろうプロジェクトを立ち上げた三原良夫さんから、プロジェクトがどのように進んできたのか、そして代々三原家が仙台七夕まつりにどう関わってきたのかをお話していただきました。
仙台七夕祭りと深く関わってきた三原家
仙台七夕祭りには、仕掛物と呼ばれる特有の飾りがあります。人形などを動かしながら劇のようにみせるもので、凝った意匠が特徴的です。
三原家は代々、竹取物語、桃太郎、おむすびころりん、はなさかじぞう、などむかし話シリーズで仕掛物を作り、見物人たちを楽しませてきたそう。
当時子どもだった三原さんも、裏方として仕掛物の人形を動かす手伝いをしており、暑い中大変な思いをしながら綱を引いたり戻したりをしていたとか。
そんな三原さんが七夕飾りを作ろうプロジェクトを立ち上げたきっかけは、やはり新型コロナウイルスの流行だったそうです。
「商工会議所が中止を判断したと聞いた時、『七夕まつり』とはなんなのかを、考えるきっかけになりました」と三原さん。
こんな状況だからこそ、鎮魂や祈りを込めてみんなで七夕飾りを作ってみようと、プロジェクトを立ち上げ、50名超の参加者と5400羽の折り鶴を作られました。
七夕飾りを作ってみて、気づいたこと
三原さんは、みんなで七夕飾りを作ったことで気づいたことがあったそうです。それは『想いの共有』『時間・空間を超える』『均一より個性』。
折り鶴の首の角度や紙質がバラバラだったり、指定した紙のサイズとは違ったりしていたそうですが、鎮魂や祈りという想いを共有していたからこそ、そのバラバラな個性が味となってひとつの七夕飾りと結実したと感じられた、と。
整い切らない七夕飾りを誇らしげに見つめる三原さんの表情が印象的でした。
トークの後は、みんなで折り鶴作り。
一辺15cmの正方形の紙を、最初に四角に折るか、三角に折るかで大いに盛り上がりました。
文章:井上雄大(TRACスタッフ)