【レポート】川俣正の「みんなの橋プロジェクト」が始動!
2017年07月11日 (更新:2017年7月11日)
国際的に活躍するアーティスト・川俣正による、日本での新たなプロジェクトがここ仙台でスタートします。川俣さんが選んだサイトは、東日本大震災の津波により、集落や耕作地が被災した仙台市東部沿岸地区に位置する「貞山運河」です。今号では、プロジェクトの概要とともに、土地に潜む人々の記憶をたどります。
——————–
せんだいメディアテークが、震災から6年を経た仙台に熱のある「アートの現場」をつくりだすべく、2016 年度より開始した「せんだい・アート・ノード・プロジェクト(略称:アートノード)」。これまで、展覧会やトークイベントなど、大小さまざまな活動を展開してきましたが、今年度より、津波被災地区の課題に取り組む長期的な活動がスタートします。
協働するのは、サイト・スペシフィック(※) な作品を世界各地で展開するアーティスト・川俣正さん。昨年7月には、トーク「川俣正のアートプロジェクト」にて、地域社会がかかえる課題に向き合うプロジェクトのほか、歴史・習慣・記憶への介入をキーワードに、繊細かつ大胆な作品事例を多数紹介してくださいました(サイト内 別記事参照)。
※サイト・スペシフィック…その場の諸条件で作品が成立するため、そこでしか見たり体験することができない作品のこと。
東日本大震災の津波により破損した、かつての橋(写真:遠藤源一郎、2013)
地域の皆さんからヒアリング(2016)
そんな川俣さんが、仙台市東部沿岸地区を直接訪問し着目したのが「貞山運河」です。震災により堤防や護岸が著しく破損し、現在は宮城県が復旧工事を進めています。
リサーチの中で、運河に隣接する新浜地区の住民から「橋が津波で流されて困っている」という話を聞いた川俣さん。その言葉に応答すべく、「橋の機能を持った作品」の完成を目指すのが、プロジェクト第一弾となる「みんなの橋プロジェクト」です。
浜辺の暮らしと海をつなぐ橋は、震災の記憶と私たちを結びつける伝承の道筋となるだけでなく、被災地への関心や交流を引き寄せ、新たな希望を見いだすための結節点(ノード)と呼べるかもしれません。詳細は、8月11日(金・祝)に、川俣さん自ら登壇するアートノード・ミーテイング03で発表しますので、ぜひご期待ください。
「みんなの橋」のスケッチおよび模型
川俣作品における橋
「橋」、それはあちらとこちらを結ぶもの。「危ない橋も一度は渡れ」「石橋を叩いて渡る」といった諺や、「橋渡し」のように人間関係をあらわす場合にも用いられ、これまで多くの文学作品や映画で橋をモチーフにした作品がつくられてきました。
では、川俣作品における橋とは、どんなものなのでしょうか。川俣さんと美術ジャーナリストの村田真さんによる著作『橋を歩いていく』(小学館,2004)には次のようにあります
「大きな川や、障害物にでくわしてもらくらくと渡っていける橋があったなら」
ここでは、そんな川俣さんの「橋」にまつわる作品を、3件ご紹介します。
「Bridge Walkway」
スペイン、バルセロナ(1996)建築家リチャード・マイヤー氏の設計によるバルセロナ現代美術館(MACBA)は、真っ白な面で構成された建物で、迷路のような旧市街地に突如現れた異様な現代建築。美術館のオープン展で発表されたこの橋のような作品は、アートの形而上的世界を表現するかのような真っ白な美術館と、カラフルで世俗的な通りの建物とのコントラストを、観客がじかに体験する装置となっている。
「Foot Path」
フランス、ボルドー(2009)2009年10月にボルドー市で開催された都市創作ビエンナーレに参加した際の作品。市内のカンコンス広場からガロンヌ河に至る、全長120mの木製の橋。ボルドーのあるアキテーヌ地方に多く分布する「海岸松」と呼ばれる木材を使用している。この橋は完成後、ビエンナーレの会期のわずか1ヶ月間で取り壊された。
「Sidewalk」
オーストリア、ウィーナー・ノイシュタット(1996)歴史ある街中の広場に沿って、ガス管のように張り巡らせられた遊歩道。街からのオーダーでプロジェクトがスタートし、地元の建築学生30人とともに約1ヶ月をかけて制作。車椅子でも登れるスロープが必要との声に応じ、予定よりさらに規模が拡大した。約2年間におよぶ準備期間中、関係各所との調整を経て、さまざまな課題をクリアしながら制作された作品。
【参考】 川俣正『アートレス―マイノリティとしての現代美術』(フィルムアート社、2001)
アートノードTALK 「川俣正のアートプロジェクト」(2016)
貞山運河での渡し船(2017)
貞山運河と浜辺の暮らし
貞山運河は、伊達政宗公の命により開削され、数次の工事を経て総延長約49kmにわたり仙台湾沿岸をつなぐ日本一の運河群のひとつとして知られています。古くは舟運を目的として建設が始まったもので、歴史、環境、景観等の魅力を有する土木遺産です。周辺住民にとっては、子どもたちが水遊びをしたり、炊事や洗濯に活用したほか、ハゼやウナギなどの釣りを楽しむ場でもありました。
しかし、震災による津波で護岸や橋が破壊され、運河に隣接する集落の一部は、災害危険区域に指定されたことで、人が再び住むことができなくなりました。
現在、仙台平野でもっとも浜に近い集落のひとつが「新浜地区」です。その住民たちが中心となり、まち歩きや自然観察会などを重ね、地域の魅力や歴史遺産をまとめたパンフレット『ふるさと新浜マップ』を2016年に発行。さらに今年6月には、イベント「新浜の渡し船とフットパス」を開催しました。
昭和30年代後半までは、貞山運河を渡る橋が集落の近くになく、浜との行き来にには「馬船」と呼ばれる箱型の船が用いられたそう。当時をイメージした渡し船を体験しつつ地域を散策することで、地域資源の掘り起こしとにぎわいづくりにつなげるべく、イベントは今後も月1回の開催が予定されています。
【参考】『堀D A Y マップ』( 若林区まちづくり推進課、2016)
『貞山運河再生・復興ビジョン』(宮城県、2013)
川俣 正(かわまた・ただし)
1953年北海道三笠市生まれ。1982年第40回ヴェネツィア・ビエンナーレ、1987年ドクメンタ8ほか出品多数。2005年横浜トリエンナーレ総合ディレクター。現在はフランス、パリ国立高等芸術学院の教授。既存の美術表現の枠組みを超えていく試みを実践してきた、海外でもっともよく知られている日本人アーティストのひとり。
http://www.tadashikawamata.com/
※本記事は、アートノード・ジャーナル2号に掲載した記事をウェブページ用に再構成したものです。
ジャーナル全体はこちらからご覧いただけます。