【レポート】アートプロジェクトはアートの現場である
2016年11月21日
「アートプロジェクト」という言葉が日本で使われ始めた80年代からその先駆けとなる活動を行い、薬物依存患者や旧炭鉱地域の人々と協働するなど、社会課題に向き合い、その土地でしか成しえない作品を制作してきたアーティスト川俣正さん。世界的に活躍する川俣さんにお話を伺いました。
TALK 川俣正のアートプロジェクト
2016年7月27日(水)に開催しました。
会場:仙台市営地下鉄東西線「国際センター駅」2階 市民交流施設 青葉の風テラス
生活を超える。
ランナーズハイみたいなもの。
東京藝術大学の油絵科に入学したものの、学生の頃から絵画よりも大工仕事が好きだったという川俣さん。1980年頃から現在まで、「プロジェクト」という制作スタイルで活動しています。
「普通の生活をしている自分の感覚の中で、何かおもしろいと思ったことを形にしていきます。それを超えるものがあれば作品になるだろうと考えて。ランナーズハイみたいなものですね。
とにかく走っていればアドレナリンが出てきて、自分の考えを超えるところへ行けるだろうと」。
そう語る川俣さんの「プロジェクト」におけるキーワードは次の5つ。
制作のキーワード
サーカスの小屋をつくって
また移動してという感じ。
「札幌の民家で行ったプロジェクト(写真1)は、参加した学生の実家が材木屋で、そこから古材を借りてみんなで組み立てたものです。2週間かけてつくっては壊してを繰り返し進めました。時間や場所、人など条件は変わりますが、その後のほかのプロジェクトでもやり方は変わっていません。サーカスの小屋をつくってまた移動してという感じです。
こういった作品の場合、材木が落ちそうで『危ない』とよく言われました。完成が見えない中でやっていく作業なので当然地元の人たちとの軋轢もあり、こんなことしてどうするんだと言われたり、撤去命令が出たこともあります。当時は参加して協力してくれる人と否定する人が半々だったので、作家としては苦しかったというのも事実です。物議をかもすことをしようと思っていたわけではないのですが、作品がどんどんひとり歩きしていました。当時は『ヴィジュアル・テロリズム』と言われたこともあります。
一方、現場で作業をしていると、プロセスこそが自分の中でおもしろいと感じていました。作品をつくる中での経験、それが僕にとっての作品だと思えたんです。現場に行くまで何も考えず、現場に行って初めて、何ができるかをいろんな人たちとシェアしながら考える。ひとつのプロジェクトでいろんなことが起こるわけですが、そのことがおもしろい。アクティビティ(活動)でありアクチュアリティ(現実性)だなと思いました」。
これこそが、のちに川俣さんの作品タイトルやテーマともなる「ワーク・イン・プログレス」です。直訳では、準備中、進行中、工事中という意味ですが、仮設であり未完のプロセスこそが川俣さんのプロジェクトの特徴と言われるようになります。
コブというか、パラサイトというか。
ガムをくっつけるような行為。
「2006年から始めたもので、小さな小屋みたいなものをいろんなところにくっつけていく作品があります。ニューヨークのマディソンスクエア公園では、13個の小屋を組み立てて半年ほど樹の上に設置しました。人が住んでいるような、でも実際には行けないイマジナリー(想像上の)な家。それがある日突然できているというような設定です。これはまさにコブというか、パラサイトというか、そういうものとして考えました。
パリの造幣局で実現した作品では、なるべく発見できないようなアノニマス(匿名)の変なものがくっついているというものをつくりました。そういうことが好きなんですね。同様に、パリのポンピドゥー・センターやヴァンドーム広場のナポレオン記念塔(写真2)、フィレンツェのルネサンス期に建てられたストロッツィ財団現代文化センターにもくっつけました。よくみんなガムを噛んでテーブルにくっつけるじゃないですか、そういう行為なんですよね。欧米では、僕の作品をグラフィティだと言われたり、そういう評価のされ方もしています。異化効果ではないですが、なにかひとつのアクションをしていきたいということなんです」。
蛸壺に入って発酵する純度に
興味が出てきた。
「最近のプロジェクトとしては『北海道インプログレス』(写真3)(2010~)があります。廃校になった小学校を借り、メンバーは小中学校、高校の同級生など地元の人たちだけで組織して、助成金をもらわず会費を募ってやっている、言わば閉じたアートプロジェクトです。アイデアはディスカッションでプランを出し合い、みんなで選んで翌年に展開していくというやり方で、もう4年になります。いま各地で開催されているアートイベントでは、アーティストが「いい人」になっているというか、アートを享受しようとか楽しもうと謳われている。たしかに昔は僕もやっていましたが、つくる側が見る人を決めてもいいんじゃないかと思っているんです。会員だけが見ることができるプロジェクトです。
国際展、トリエンナーレ、ビエンナーレといろんなところでやっていますが、自分たちがやりたいことを自分たちのためにやる。身勝手なプロジェクトでもいいなと思っているところなんです。2005年に横浜トリエンナーレでディレクターを務めましたが、そのときも誰が見に来るのかなと思っていました。それからずっと考えていて、考えた結果が閉じようと。蛸壺に入って発酵する純度に興味が出てきました。いろんな人が見て広げていくということよりも、蛸壺に戻りたいなと」。
そんな川俣さんは、今後も来仙しプロジェクトを展開していく予定です。ぜひご期待ください。
※本記事はJOURNAL0号に掲載した記事と同内容です。