【レポート】ゲージツ学校:生きる技術としてのゲージツを考える
2016年11月21日
「青少年のための生きる技術としてのゲージツ学校」は、高校生など若年層を主な対象者として、芸術を実践的に学んでいくメディアテークの新たなプロジェクトです。今年は、世界的に活躍する美術家の森村泰昌さんが校長、館長の鷲田清一が教頭、仙台出身の美術家タノタイガさんが講師を務めました。
「実践的に」というからには、参加者は実際に身体を動かして何かをやるわけですが、今回は、「一番町にある閉店したナイトクラブを、アートが生まれる場所にせよ」という課題が出されました。このナイトクラブは、普段見ることはできませんが、特別に建物のオーナーである江陽グランドホテルさんの協力を得て、参加者は実際に店内を見学するところからスタートできました。ただし、ナイトクラブそのものを改装することはできません。あくまでもそこを舞台としたプランを考えることが今回の課題です。また、「アートが生まれる」といっても、そのアートとは何か、芸術と何かについて、全く白紙から向き合うことは困難です。そこで、森村校長から参加者に向けて5つの言葉が投げかけられました。
1『芸術は、おもしろければ、まちがっていてもよい』
2『美は、多数決の原理では決まらない』
3『芸術と芸能は、どちらもたいせつな文化の両輪である。
あなたは、芸術と芸能のどちらを選びますか』
4『身近にいる人を幸せにできない者に、人類の幸せを論じる資格があるだろうか』
5『醒めた熱狂を求めよ』
正直に言うと、ヒントになるかどうか以前に、高校生には難しい問いです。おもしろいこととまちがっていることは、実社会では同居が許されません、多数決以外にどうやって意思の決定がなされるのか、すぐにはわかりません。芸術と芸能についても、森村さんによれば、他人にウケなくてもやるのが芸術で、ウケなければ意味がないのが芸能なのですが、誰にもウケないのに実行するという切実さに直面することはなかなかありません。醒めた熱狂が批評精神につながることも、イメージがしにくいでしょう。
しかし、ナイトクラブをアートが生まれる場所にする計画を実践しながら、同時にこれらの言葉を日常生活やニュースで流れる出来事に当てはめて考えることで、その人の内部にこれまで気がつかなかった自分や社会を見る新たな視点が発生します。それはぎすぎすした居心地の悪さのようなもの、矛盾の萌芽を抱え込むことでもありますが、そのときこそがゲージツ家としての第一歩を踏み出す瞬間です。これからの社会をつくる若い人に向けてこの学校を行うねらいがそこにあります。
この夏、ゲージツ学校に参加した高校生たちは、森村さんの問いかけを各々どう咀嚼したでしょうか。数年後にまた彼ら自身の言葉による解釈を聞いてみたいものです。
文・清水建人(せんだいメディアテーク学芸員)
※本記事はJOURNAL0号に掲載した記事と同内容です