【レポート】多様で曖昧な「アート」の意味を問う
2016年11月20日
アート・ノード・ミーティング01 てつがくカフェ「アートは心地よいもの?」
2016年10月2日(日)に開催しました。(詳細はこちら※イベント告知ページへのリンク)
会場:せんだいメディアテーク1階 オープンスクエア
「せんだい・アート・ノード・プロジェクト」のキックオフとしておこなわれたミーティング第一回。せんだいメディアテーク館長の鷲田清一をファシリテーターに迎え、「アートは心地よいもの?」というテーマで、てつがくカフェが開催されました。てつがくカフェとは、学生や主婦や専門家といった普段の立場からいったんはずれ、人の意見に耳を傾け、すでに「自明」とされていることについて改めて考えていく場です。
冒頭、「アートという概念の境目がわからない現状を踏まえて議論をしていきたい」との鷲田館長の発言を受け、会場からは「自分がつくりたいと思って表現したものは、すべてアート」「人が生まれて生きることがアートだと思う」「合唱で現代音楽の曲を唄っているときに、すごいな、人間の可能性があるんだなと感じる」など、さまざまな立場からの意見が活発に飛び交いました。
それらの声を鷲田館長は「表現すること自体が心地いい」「感動を与える、気づきを与える」「物との対話が深まる」「アートは疲れるもの」といった項目に整理。さらに参加者からは、「訪れる」「唐突」「自分を解放してくれる(=移行)」「違和、世界・自分への違和感、不調和」など、いくつものキーワードとなる言葉が出てきました。
終盤、鷲田館長は「アートという言葉が液状化し、アートとそうでないものの境界が溶け出している。今日の議論では、アートとそうでないものの区別ができないくらい、『アート』が指しているものが無限に広がってしまったということがわかった」と述べ、さらに「てつがくカフェは答えを探すものではなく、問題設定のやり直しをすることが大切な場。今日並べたキーワードには、これまでアートを考えるときに入っていた概念もあれば、そうではないものもあると思います。そういう言葉を持って帰って、これからアートについて考えるときに放り込んでいただければ。今日の話し合いはまとめないままで(笑)、『アートは心地よいもの?』とは言えないよね、くらいの感じで締めたいと思います」との言葉で幕を下ろしました。